こんにちは、モリ(@ijumori)です。
ある方とぼくがやりたいことの話をしたところ、
「夢を持つことはすばらしい」
「やりたいことがあるのはうらやましい」
ということを言われました。
しかしぼくはその夢を諦めたんだということを話すと、その方からものすごい叱責をくらいました。
「逃げ」とは
ぼくにはやりたいことがありました。
けれど諸々の事情があって、断念することになりました。
諸々の事情については細かく話さないけど、ずっとタイミングを見計らってやっと回ってきたチャンスを自分から断ったということを話したところ、
「それは『逃げ』だね」
と。
「挑戦してだめだったら逃げてもいい。でも挑戦もしないで諦めるのは単なる『逃げ』だよ」
とみんなの前で叱責をくらいました。
やらぬ後悔よりもやる後悔
この言葉、よく使われます。
今回も言われました。
でもこれって本当にそうなのかなぁと思うんです。
どちらも後悔してるじゃんって思うんです。
どっちの行動を取ったとしても後悔してるじゃんって。
この言葉の意味は理解できてます。
やらずに後悔するくらいならやってみればいいじゃんっていうこと。
それでだめならしかたない。
でもやってもいないのにやる前からグダグダいうなよっていう意味でしょ。
そんなことはわかっているんです。
やらないという決断に納得できるかどうか
成功者からしたらチャンスが目の前に転がっているのに手を出さないのは無能の証だねと言われるでしょう。
でもぼくはやらない方を「選んだ」んです。
やりたい、やってみたい、けどやらないと決断した。
これは自分の中では軽いものではありません。
すごく悩んで、葛藤して、それで出した決断です。
それでもやればよかったと後悔することもあるでしょう。
だからこそ「やらぬ後悔よりもやる後悔」という言葉もあるのだと思います。
けどこの言葉の奥には、やるかやらないかどちらが正しいのかということではなく、自分で決断できたかどうかということが隠れていると思うんです。
その決断に「納得」ができたかどうか。
これが一番大事なことなのではないかと思います。
たとえば、経済的な理由で進学ができなかった子が、自分が望む職につけなかったとき、とても悔やむでしょう。
自分ではどうしようもない場合に、後悔が強く残ると思う。
なぜならそこに「納得感」はないから。
「やりたい」けど「やらない」と自分で決断した場合、そこに後悔は残るかもしれない。
けれど同時に「納得感」はあるはず。
だって自分で決めたんだもの。
挑戦しないことは逃げることになるのか
タイトルにも書きましたが、挑戦しないことは逃げることなのかどうか。
その答えは、決断に「納得感」があるのかないのかで変わってくると思います。
人生には常に決断がついて回ります。
大きな決断をするときに、少しでも後悔をしたくないのであれば、自分が納得できる方を選ぶことが大事なことなのでしょう。
最後に
「逃げ」は決して悪いことではないと思っています。
使命感や責任感という名のもと、「逃げ」られずに死ぬことを選ぶ人もいます。
きっと後悔していることでしょう。
「逃げてはダメだという風潮はおかしい」ということを声を大にして言いたい。