こんにちは、モリ(@ijumori)です。
NHKでも特集が組まれるほど認知されてきた「フリーランス」という生き方。
しかし弱肉強食のこの世界。もちろんそんなに甘くない。
かつてフリーター、ベンチャー起業、ノマドなど、ある意味ブームが作られてそれに乗った人たちがいます。
その多くの人たちは、はたして自分が望んだ生き方ができているのでしょうか。
30歳を前にして焦る男性の例
ツイッター上で断末魔のような叫びを発信し続ける男がいる。
「俺をIT業界で働かせてくれ」
その男はそう言い続けている。
数年前にウェブデザイン系の学校を卒業したけれど、希望しているIT企業に就職できずにいる。今はガテン系のアルバイトで生計を立てているという。
しかし彼はいまだにIT業界で働くことを望んでいる。
彼は自分がつくったウェブサイトをTwitterで公開し、IT業界の関係者にアピールしている。
しかしながら、なかなかIT系の仕事にありつけないのだ。
実務経験とはいったい何を指すのか
彼はIT業界で働いたことがない。ウェブデザインを学んだとはいえ、実務経験がないのだ。
新卒であれば、将来への期待込みで採用される。
しかし、中途採用であればどうしても即戦力や実務経験者が優先されてしまうのだろう。
そうなると新しいことに挑戦する機会はこのまま得られないということになってしまいかねない。
将来はフリーランスとして独立を夢見る
「自分に足りないのは実務経験だけなんだ」
彼はそう叫ぶ。
しかし彼は架空のウェブサイトをいくつも作っている。練習とはいえ、実戦形式でウェブサイトを作っているのだ。となると、彼が考える実務経験とは一体何を指しているのだろうか。
もしも彼がつくったサイトがランサーズのようなクラウドソーシングで依頼されたものであれば、それは立派な経験となる。
そう考えると働き方というのは企業に勤めることがすべてではないといえるのではないだろうか。
今はサラリーマンとして働いているけれど、フリーランスになりたいという人は多い。
そこで問題なのは、フリーランスとして食べていける人はどれほどいるのかということだ。
これまでとは違う人生を歩む怖さはどこから来るのか
人生にレールというのがあるとすれば、レールに乗って進むのが1番楽だと思う。だって、進む道が決まっているのだから。
しかし、新しいことを始めようと思うとそのレールから外れなければならないこともある。新しいことを始めるのには勇気がいるし、失敗するんじゃないかという恐怖心が起こる。
その恐怖心とは一体何なのか。
新しい環境への恐怖
これまで歩んできたレールから外れる恐怖。
これは今までとは違う環境に自分が溶け込めるかどうかという恐怖。これまでの経験が活かせるのか、それともまったくの未知なことに対応できるのか。不慣れな環境に自分が対応できるかわからない不安から起こる恐怖。
これが新しい環境への恐怖といえると思う。
先を見通せない恐怖
新しい環境への恐怖とは、別の言い方をすると先を見通せない恐怖ともいえる。つまり、これまでは経験によってこの先何が起こるかある程度は予測ができていた。ところが新しいことを始めるということは、その予測が難しくなるということ。経験をそのまま活かせなくなるということ。
この先どんなことが待っているんだろうという恐怖心が生まれ、新しいことへ挑戦することを避ける可能性も高まる。
望む環境を得られるかわからない恐怖
新しいことに挑戦するということは、今の環境を変えたいという場合もある。しかし、環境を変えたところで自分が望む環境であるかどうかはわからない。
自分の会社がブラック企業だと思って転職したら新しい会社のほうがよほどブラックだったという話はごまんとある。そういった話があるので、環境を変えたところで自分が望む環境が本当に得られるのかわからないので踏み出すのに躊躇してしまうことがある。
今よりも悪い環境に置かれることへの恐怖が生まれてしまうのだ。
安心感と不安感。人はどちらを求めるかといえば、当然前者だろう。
安心感を得たいがために新しいことに挑戦しようとすると発生する不安感。ジレンマである。
ある人はこれをリスクだという。ある人はこれをチャンスだという。
働くことに対する価値観は多様性に富んでいる。
今年の新入社員は「お金より休み」を会社に求めているというアンケート結果もあった。とはいえバリバリに稼ぎたいという若者もいるだろう。
つまり働くことに対する考え方は様々あって、こうでなければならないというものはない。
人生において転機が訪れた際、これをチャンスと捉えるのか、リスクと捉えるのかは人それぞれ。
しかし、人生とは考え方だけで結果が決まるものでもないのがおもしろいところ。
よく「ネガティブに考えるくらいならポジティブに考えようよ」という響きのいい言葉がある。
うまくいった人はチャンスだったと振り返る
ある転機が訪れた際、その後結果が良好だった人はその転機をいいチャンスだったと言う。
それは当然のことで、うまくいった人が「あの時チャンスを掴むのをやめとけばよかった」なんて言うはずはない。
うまくいったからチャンスだったと言えるのだ。
ではその逆はというと、、、。
うまくいかなかった人は大きなリスクだったと振り返る
逆にうまくいかなかった人は「あの時失敗してラッキーだったよ」とは言わない。
チャンスではなくリスクだったと認識するはず。
これはどちらも、結果論でものを語っているのです。
簡潔に言うと、ただ単にそれぞれが「成功談」と「失敗談」だということです。
人生のレールを外れたのなら
自分の思い描いていた人生から外れてしまった場合、一体どうすればよいのか。
それに対する明確な解答はない。これは考え方は人それぞれだから。
でもここでは3つの対策を挙げてみようと思う。
生き方を見つめ直す
何度も言ってきているが、考え方は人それぞれであって、どれが正しくてどれが間違っているなんてことはない。つまり、考え方は一つではないということ。これまでの考え方を変えたっていいということ。これまで歩んできた人生がこの先も続くかどうかはわからない。
そこで、これから続く自分の人生をどうやって歩んでいくのか、いま一度見つめ直す機会にするとよいのではないだろうか。
おすすめなやり方は、人生において大切なものをパーセンテージで表してみることである。
例えば、家族50%、仕事30%、趣味20%みたいに。
ざっくりとした例になったけれど、自分にとって大切なものは何なのかがわかると、自分の生き方や働き方が今のままでいいのか認識できるはず。
そうするとこれからの自分の人生の歩み方が見えてくるかもしれない。
再挑戦する
失敗したっていい。失敗することは悪いことではない。
何度でも挑戦したっていい。そのたびに失敗したっていい。
「いい年こいて」とか「いい加減現実を見ろ」とか大きなお世話。
世の中成功者ばかりではないし、挑戦することに年齢制限などない。
失敗するたびにその分成長しているはず。
諦める
生き方は自由。
こうでなければならないというものはない。
なので流されるままに生きてみるというのもありだと思う。
ここでいう「諦める」とは人生を諦めるということではなく、自分が思い描いていた理想の人生を歩むのを諦めるということである。
何度も言うが生き方は自由なので、自分の理想とは違う生き方を選ぶという生き方もあるのではないだろうか。
まとめ
人生にレールというものが存在しているのなら、レールを外れる可能性は誰にでもある。
もしもレールを外れてしまったら、それは悲観することではないよということを伝えたかった。
レールを外してしまっても、生き方を見つめ直したり、タイミングが来たら再挑戦したっていい。
それほど人生は自由度が高いんだよ。
どうしたって成功者が羨ましく見えたりする。
しかし、どれも結果論。
いま成功したと言われている人たちもいつどうなるかわからないし、過去に大失敗をした人がいま大成功を収めているケースだってある。
そして大切なのは、成功の定義は人それぞれだっていうこと。
これが人生は自由度が高いことを言い表している。
人生のレールを外れたのなら、それは今後どう生きるのか見つめ直すいい機会を得たということですね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
モリ(@ijumori)でした。