こんにちは、モリ(@ijumori)です。
突如始まった #MacBookおじさん 制度。
当然ながら賛否両論あります。
しかし反対意見を表明しようものなら、おじさんのファンたちにフルボッコにされてしまいます。
なぜかわかりませんが、彼らの中では、やらぬ善よりやる偽善が正義なのです。
違和感の理由
ぼくが強い違和感を覚えた理由は、伊達直人という人の活動を知っていたからです。
数年前に話題になった伊達直人という人をあなたはご存じだろうか?
彼は匿名で児童養護施設へ数年に渡って新品のランドセルを寄付していました。
何の見返りも求めず、施設へ通う子どものために、決して安くはないランドセルを何年にも渡っていくつも寄付し続けたのです。
そこにあったのは無償の愛だけでした。
一方で #MacBookおじさん にあるものは何なのかというと、自分の高感度アップと、「かわいそうな若者」という偏見と、後に生まれる主従関係で優位に立つことなのではないでしょうか。ワシが育てた、的なもの。
崇高な理念を説く若者をおじさんたちは好き嫌いで判断するのですから、そのことで何かが生まれるということは絶対にありえません。
MacBookは非常に高価な品物で、学生はおろか社会人にとってもかんたんに買える代物ではありません。
それを「見ず知らずの人に買ってあげられるボクチンすごい」という自己満足に付き合うのは馬鹿らしいものです。
また、「崇高な理念を達成したいのにたかがMacBookすら買えないならそんな理念は大したものじゃないね」ということを言う人もいますがこの意見も糞ですね。
彼らはなぜ上からモノを言うのでしょうか。
マウンティングしないと死んでしまう生き物なのでしょうか。
あげる方も大概ならもらう方も大概
今回の #MacBookおじさん の支持率は20%というところでしょう。
その支持者20%はすべてブロガーのお仲間だと言っても過言ではないと思います。というか、大抵はお身内の方々。
彼らが時代の先を行き過ぎているのか、僕がもう古すぎて追いつけていないだけなのでしょうか。
よく考えてみると今回の取り組みは特に目新しいことではありません。
しかし、今回はすべてが自分の利益のために行っているということが透けて見えてしまっていまするのが残念なところなのです。
お仲間が互助的に称え合っている姿も滑稽なのですよ。そこに気付かないのかな?
本当に若者支援を目的にするんなら月に3台とか、けちくさいこと言わずに300台ばら撒きなさいよ。
それもしないで自分の利益誘導のために社会貢献を謳った今回の運動ははっきり言って茶番そのものです。
もらえるものはもろとけと、かつて誰かが言っていましたが、MacBookもらったくらいで人生変わるはずないよ。
今回のおじさんたちは君たちの骨の髄をしゃぶることを目的にしているんだから。
吸われるだけ吸われればいいと思うよ。
最後に
信者を作らないと死んじゃうブロガーは必死すぎて引く。互助会も引く。そういうことを言うと信者が発狂するところも引く。
とは言えこのようなおこないは新しいものでも何でもなく昔から善意で行われてきたものです。
ピュアな心で施しを受けてみてもいいかもしれません。