こんにちは、モリ(@ijumori)です。
今回はギャップについて考えてみたいと思います。
「軋轢が生まれるところにギャップあり。ギャップあるところに軋轢あり。」
ギャップが生じるところ
「ギャップ」とは、「大きなずれ」、「食い違い」という意味です。
ギャップとは、違いが生み出すものです。「世代間のギャップ」なんていいますよね。そのように違いがあるところにギャップは生まれるんです。
ではどんなところにギャップがあるのか考えてみました。
先ほどあげたような世代間、つまり年齢や生まれた時代によるギャップですね。
上司と部下もそうでしょう。男女でもギャップはあるでしょうね。
人種や国家もそう。宗教もそう。
あらゆるところにギャップは存在していて、ときにそのギャップがきっかけでひどい軋轢が生じることがあります。
戦争なんて最たるものですよね。
ギャップあるところに軋轢あり、と感じた決定的瞬間
いつの時代も年配の方からは「今の若者はうんぬん」といわれ、そして若者からはそんな年配の方々を老害という。
お互い相容れない関係なんですよね。というか、分かり合えない。
それはなぜなのか。
ログミーのある記事を呼んでいて気付きました。
この記事の中で「若者は“便利なもの”を当たり前に使っているだけ」という部分があるんです。
中西 ここからけっこう核心かなと思っていますが、「なんで動画をコミュニケーションに使うんですか?」という。
大関 一番伝わりやすいからというのがあります。やっぱりLINEで文章を打って伝えるよりも、テレビ電話で顔を見ながら話したほうが絶対に伝わる。ケンカだってそうなんですけど、文章だとやっぱり怒ってるのか怒ってないのかがわからない。
そして核心的なところがありました。
ほくぴー 若い人というのは、そういう楽で一番効率がいいことを、本質的に頭でわかってるんじゃないかなと思って。
中西 動画を使うのが。
ほくぴー 例えば、「ファックスよりメールのほうがいいやん」と言う人は、もともとメールを使っててメールの便利さを知ってるんですけど。ファックスの良さを語る人は、ちょっとデメリットを隠した私情がはさまってる。若い人たちはそういう不便なところを知らないから、(逆に)「なんで動画撮んないの?」という感じだと思うんですね。一番伝わりやすいから、というのもそうだと思うんですけど、そもそも「そっちのほうがいいやん」と当たり前に思ってるだけなのかなと。
自分のやり方を柔軟に変化できる人は強い
この記事を読んでいて思ったことは、若者は賢いなって。バカっぽい感想ですが、正直にそう思いました。
汗水たらして苦労することが美徳という考えは若者にはありません。楽して効率的にやることが美徳なんです。だって、「そっちのほうがいいやん」と当たり前に思ってるんです。
情報を伝える手段としてファックスからメールに変わったとき、対応できなかったおじさんたちは頑なにファックスの良さを伝えたのでしょう。でもメールのほうが便利なんです。
LINEが流行ったのもメールよりも便利だったからです。
そしていまでは、LINEで文章を打って伝えるよりもテレビ電話のほうが伝わるって思ったから若者はそうしてるんだと思います。
たぶん理解できない人にはずっと理解できません。ずっとそのまま。
世代間のギャップとか、都市と地方のギャップとか、まあギャップが生まれている理由というのがなんとなくわかった気がする。
10代が本当に使ってるSNSはなに? “ありのまま”を見せたい若者の心理 https://t.co/FEBpMBs95c @logmijpさんから— モリ – MORI – (@ijumori) November 11, 2016
まとめ
ギャップはいたるところに存在します。
ギャップを受け入れるか受け入れないかは、自分次第です。
ぼくは、柔軟に変化できる人でありたい。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
モリ(@ijumori)でした。